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エルミタージュ美術館を構成する5つの建物

[エルミタージュ美術館]  現在のエルミタージュは5つの建物からから成っています。 冬宮、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、劇場エルミタージュです。 これらの建物は18世紀半ばから19世紀半ばにかけて約100年間かかって完成されました。

冬宮(建設1754〜1762)

 アンナ女帝(在位1730〜1740)とエリザベータ女帝(在位1741〜1762)時代 冬宮はアンナ女帝時代の1735年に建設を完了しました。 さらに、エリザベータ女帝時代に、イタリア人ラストレリ(1700〜1771)の設計で1754〜1762年にかけてバロック様式に基づいて再建されました。ラストレリは1715年に父親に連れられてペテルブルクに来たことがあり、1730年に再度訪れてロシアの建築事業に携わることとなりました。 ロシアの西欧化政策の流れのなかで彼はロシア建築に大きな影響を与えました。しかし、冬宮は1837年の火災で焼失しました。 その後まもなく、ロシアの建築家スターソフ(1769〜1848)らによって内部を少し変更して復興されます。 ただ、前面の姿は全く変えられませんでした。  ラストレリが造った冬宮の最大の見所はファサードだといわれます。 壁面を白、水色、金色で塗り分けたり、付け柱、窓枠にみられる凝った意匠、屋根の彫像などにその特徴があります。 また、ラストレリはピョートル大帝夏の宮殿を設計したり、エカテリーナ宮殿を現在のような華麗な姿に改築したりもしました。 このイタリア人の力によって、現在のサンクトペテルブルクは存在しているとも言えます。  1927年のロシア革命10周年に、ソ連の映画監督エイゼンシュタインは『十月』を撮影しました。 (私が実際に見たのは、1967年のロシア革命50周年記念のリメイク版のビデオです)その中でも、1917年の10月革命に際して、冬宮中央階段(大使の階段)から革命軍は突入します。白い大理石の階段に赤いカーペットが敷かれています。周囲の窓、これは偽窓なのですが、そこにはめ込まれた鏡が空間をより広く見せてくれます。 階段を上り詰めた踊り場では花崗岩の一枚岩の柱が並んでいます。 大使の階段とも呼ばれていたところです。 これは各国の大使がこの階段から昇り、皇帝のもとに赴いたことに由来しています。 ロシア・バロック様式の豪壮華麗さを確認することができます。 こういう豪華絢爛を独り占めしていればこそ、革命が起こっても不思議ではないのですが・・・。

小エルミタージュ(建設1764〜1775)

[エルミタージュ美術館]

 エカテリーナ2世は冬宮完成の2年後に冬宮に移り住みました(1764年)。エカチェリーナ2世は1764〜1775年に冬宮の東側に小美術館を建てさせ、それをエルミタージュと名付けました。 これが現在、小エルミタージュと呼ばれていところで、現在のエルミタージュ美術館発祥の建物なのです。 小エルミタージュは長い廊下状の広間である美術ギャラリーと北側のパビリオンと呼ばれる広間から成り立っています。 1階の屋上に空中庭園と呼ばれる細長い庭があります。    エルミタージュ美術館の歴史は、1764年エカチェリーナ2世の治世に始まります。 ベルリンの商人ゴツコフスキーが借金の返済のために自分のコレクションから225点の絵画を送付してきたのです。 この絵画のコレクションが冬宮に持ち込まれたことで始まるとされています。後に皇室の制度として購入するようになり、1785年には2658点のコレクションとなりました。 ただ、それらの作品を鑑賞できるのは皇帝一族に限られていました。 エカチェリーナ2世は『名画を鑑賞しているのは私とネズミだけ』と書いています。  小エルミタージュで一番ふるい展示品は“孔雀の時計”です。 これはポチョムキン公からエカテリーナ2世に送られた、からくり時計です。エカテリーナ2世はここで親しい客人たちをもてなしました。

旧エルミタージュ(建設1771〜1787)

 エカテリーナ2世は1764年から美術品を大量に購入し始めました。 このため、コレクションは急増し、新たな保管場所が必要となりました。 それで、小エルミタージュの東隣に旧エルミタージュが17年をかけて増築されました。 レオナルド・ダ・ビンチの絵画をまとめた「レオナルドの間」では「リッタの聖母」と「花を持つ聖母子」を見ることができます。 2階部分には「ラファエロの回廊」があります。 アーチを連ねた細長い広間であり、左右と天井の壁全体にラファエロ絵画の模写で覆い尽くされています。

エルミタージュ劇場(建設1783〜1786)

旧エルミタージュの東側に建築されました。 宮廷人専用の劇場としてイタリア人建築家によって建てられました。古代ギリシアの劇場のように扇状に客席が配置されています。 エカテリーナ2世自らが制作・脚本した演劇が上演されたといわれています。 旧エルミタージュとエルミタージュ劇場はアーチでつながれています。 現在ではここで、一般旅行者も観劇できるようになっています。

新エルミタージュ(建設1784〜1864)

 ドイツ人建築家の設計で建てられました。 旧エルミタージュの隣にあって、宮殿広場に面しています。 1852年に新エルミタージュは美術館として公開されました。(ちなみに、ルーブル美術館はフランス革命後の1793年に公開されています。) しかし、ここに入館するためには宮内省の許可証が必要でした。 そして、年間に300〜500人が入場していたようである。 1863年より自由に入場ができるようになりました。 第一次世界大戦前には16万人が入場していたようです。

建物は、フランス人ヴァラン・ド・ラ・モットによる。

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