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エドゥアール・マネ

(Edouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)


[エドゥアール・マネ]

エドゥアール・マネは、19世紀のフランス写実主義、印象派の画家。
エドゥアール・マネは1832年、パリのブルジョワの家庭に生まれた。

父は司法省の高級官僚であった。
はじめ海外航路の船員となるが、1850年、18歳の時に画家になることを決意し、当時のアカデミスムの大家、トマ・クーチュールに弟子入りする。
1861年、サロン(官展)に『スペインの歌手』が初入選する。

[エドゥアール・マネ] エドゥアール・マネの画風はスペイン絵画やヴェネツィア派の影響を受けつつも、明快な色彩、立体感や遠近感の表現を抑えた平面的な処理などは、近代絵画の到来を告げるものである。

エドゥアール・マネ、「印象派」の中心へ

[エドゥアール・マネ]

エドゥアール・マネはクールベの写実主義から、印象派への道付けをした。 エドゥアール・マネは1860年代後半、パリ、バティニョール街の「カフェ・ゲルボワ」に集まって芸術論を戦わせ、後に「印象派」となる画家グループの中心的存在であった。
しかし、エドゥアール・マネ自身が印象派展には一度も参加していないことからも分かるように、最近の研究ではエドゥアール・マネと印象派は各々の創作活動を行っていたと考えられることが多くなっている。

エドゥアール・マネは画家仲間のみならず詩人、作家との交流もあり、近代詩人の祖であるシャルル・ボードレール、エミール・ゾラ、そしてステファヌ・マラルメなどと深い親交があった。
ボードレールはエッチング、ゾラとマラルメは油彩による肖像画がマネによって描かれている。

[エドゥアール・マネ] 代表作の『草上の昼食』と『オランピア』はいずれも激しいスキャンダルを巻き起こした作品として知られる。
1863年の落選展に出品した『草上の昼食』は、戸外にいる正装の男性と裸体の女性を描いたことから、不道徳であるとして物議をかもした。


エルミタージュ美術館に展示されているエドゥアール・マネの絵画

[エドゥアール・マネ] [エドゥアール・マネ]

代表作

フォリ=ベルジェールの酒場(1882)コートールド・インスティテュート(ロンドン)
草上の昼食(1862-63)(オルセー美術館)
オランピア(1866)(オルセー美術館)
フォリ=ベルジェールの酒場(1882)(ロンドン、コートールド研究所)

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